ジャン・ユアンの話

00.07.28.超星网/記者:「過年回家」はキリスト教徒に人気があったそうですが、あなたは信仰を持っていますか?

ジャン・ユアン:持っています。私の宗教は映画だ。キリスト教徒は、全身全霊を神に捧げているでしょう。私の、生活・友人・家庭に対する想いは、全て映画を拠りどころにしている。

記者:あなたの映画は、「媽媽」を除いて全て国内上映禁止だったのですから、投資先を見つけるのが大変だったでしょう。

ジャン・ユアン:いいえ。製作資金の、一部は自分が出し、一部は友人から借り、また一部は国外から提供を受けるから。映画を作るには多くの苦しみと困難が伴うが、一面からいえば、私は順調な方だよ。映画を撮っても撮っても、賞をもらえない監督もいる。私のいちばん好きなライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは、生涯で30本の映画を撮ったが、受賞したのは2回だけ。それで彼を、いい監督でないと言えるか?資金のことは、幸いにも、困ったときになると助けてくれる人が現れるので。親しい友人たちがよく貸してくれるし。幸運だと思う。

記者:題材のインスピレーションは突然わくのですか、それとも徐々に?

ジャン・ユアン:いろいろです。そのときによって違います。私の映画はほかの監督たちのと違って、他人の小説からアレンジしたものではないから。私は自分で形を見つけ出すのが好きだ。インタビュアーの仕事に似ているね。たくさん取材して、取材をしながら、求める対象に深く入り込むんだ。

記者:取材の相手は?

ジャン・ユアン:撮りたい映画に関連して、例えば「過年回家」のときは10数カ所の刑務所に行って殺人犯の女囚を何10人も取材し、彼女たちの家族にも会い、警察にも会った。

記者:取材相手の生活概念が、あなたの生活に大なり小なり影響しますか?

ジャン・ユアン:いいえ。「インペリアル・パレス(東宮西宮)」のときには非常に多くの同性愛者を、警察官を取材し、「息子(儿子)」のときには精神病院に何回も取材に行き、私はいつもたいへん長い時間をかけて理解してから、整理して原稿を書く。だんだん自分の生活があいまいになってくるが、あなたの想像するようなものではない。多くの場所に行き、多くのものを見ると、そのものごとも、撮る映画も明確になるんです。

記者:芸術性と商業性は衝突しますか。

ジャン・ユアン:しない。優れた芸術は、商業性も持っているということが、私には最近わかってきた。

記者:では、「タイタニック」は芸術ですか。

ジャン・ユアン:「タイタニック」は技術だ。芸術の中の技術だ。ああいった映画は、別の角度から見る必要がある。

記者:あなたにとって映画はどんなものですか?

ジャン・ユアン:理解が進みつづけている。恋愛でいえば、結婚し、お互いに愛が深まっているころだ。

記者:ふだん観る新作は外国映画ですか、中国映画ですか。

ジャン・ユアン:ほとんど全て観る。監督として言えば、おもしろい映画は観なくていいし、私としても、よくない映画を観るのが好きだ。よくない映画を観ると、私は自分の撮りたい映画を撮ればいいんだと思えるから。いい映画を観ると、がっかりしてしまう。ラスト30分ごろ、この映画は何も問題はないなとわかると、もう心配する必要はないので、いつも10分ぐらい眠っちゃう。



ヒロイン決まる

00.07.27.南方网/4万人の中からジャン・イーモウ(張藝謀)に選ばれて「幸福時光」のヒロインになったドン・ジエ(董潔)は、広州・戦士歌舞団の出身だそうだ。2000年の春節聯歓晩会で、ニコラス・ツェー(謝霆峰)と同じ舞台に立ち、その舞台でドン・ジエの役は、ジョウ・シュン(周迅)の代打だったとか......。(ちょと出来すぎた話?)戦士歌舞団関係者の話によると、ドン・ジエは大連人。1990年、10歳のとき戦士歌舞団に入団し、その後北京の解放軍芸術学院に送られて5年間舞踏を学び、卒業後の1995年末、正式に戦士歌舞団のダンサーになった。



グー・チャンウエイ

00.07.25.TOM.COM/グー・チャンウエイ(顧長衛)は、最近アメリカでも仕事をしている、中国のカメラマン。1978年に北京電影学院撮影系入学。

グー・チャンウエイ、「人生は琴の弦のように(辺走辺唱)」について:「抑圧的だった。「紅いコーリャン(紅高粱)」「子供たちの王様(孩子王)」と違って、可能性をひとつひとつ切り落としていくような映画だった」

アメリカへ行った理由は、「いろいろなタイプの映画を撮れるから」。

グー・チャンウエイの妻は、女優のジアン・ウエンリー〈蒋[雨文]麗〉(「刮[やまいだれ/沙]」でレオン・カーファイの妻役)。ふたりは「さらば、わが愛霸王別姫」がきっかけで結婚した。ジアン・ウエンリーは、小豆子(程蝶衣レスリー・チャンの幼名)の母親役だった。



ガオ・チンウエン、ゴン・リー

00.07.25.南方网/ゴン・リー(鞏俐)のことを話し始めたら止まらないガオ・チンウエン(高景文)は、ゴン・リーの中央戯劇学院での先生だ。

ガオ・チンウエンによると、ゴン・リーは戯劇学院の入試申し込みに遅れてきた。受け付けをしていたガオ先生は、扉を叩いて入ってきたゴン・リーが、とくべつ美人ではないが趣きがあるので驚いたそうだ。純粋そうで、静かで。遅れてきたくせに静かだった。ゴン・リーは「まだ申し込みできますか?」と聞いて、用紙の欄を埋めると、何も言わずに帰っていった。

ゴン・リーは1次試験で落とされそうになったが、ガオ先生が異議を申し立ててやっと通った。

ゴン・リーは3次試験のときも遅れてきた。規定では、5〜7分遅れてきたら失格だったが、彼女はは7分か8分めにジーパンをはいてやってきて、体の調子が悪くて、と言った。

そしてぶじ試験に通り、学生時代のゴン・リーはとても元気で男の子みたいだったので、ガオ先生は、入試の申し込みに来たゴン・リーが遅れて来たりやけに静かだったのは、それまで彼女はさんざん入試に落ちてきて、もうあまり期待していなかったからだ.......とわかったのだそうだ。

ゴン・リーが二年生になったとき、ジャン・イーモウ(張藝謀)「紅いコーリャン(紅高粱)」のヒロインを探しに学院にやって来た。そのとき同級生トップの史可はほかの仕事でいなかったため、先生たちは2番手としてゴン・リーを推薦した。

ガオ先生によると、ゴン・リーの最高作は「秋菊の物語(秋菊打官司)」。去年の「漂亮媽媽」は、脚本がちょと.....。「漂亮媽媽」はもともとリストラ女工の話だったのが、そのままでは危ない箇所が多そうなので、母子がテーマの話に書き変えた。ため、題材に広がりが足りない。ゴン・リーも神ではなく人の子なので、脚本がいまいちだったら優れた演技も発揮できまい。ということです。

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