TOP連載記事中医沙龍〜中医薬大学の教室より(39)

温病学と重症急性呼吸器症候群(SARS)


  1. はじめに

     SARSは中国では「非典型肺炎」と表記している。治療過程においてまだ特効的な抗生物質が発見されていないため、現在の治療方は隔離と対処療法が中心だ。その中で中医学による治療法も補助的ながらも立派にその地位を確立している。
     すでに中国疾病予防控制中心が試行的に発表した「非典型肺炎の推薦される治療法と退院時の診断基準」においても対処治療の項目に「中薬補助治療、治療原則:温病学の衛、気、営血と三焦弁証論治」という記載がある。
     また4月3日の衛生部部長張文康の記者会見の中でも、すでに広東省では過去の類似の肺炎の経験から中西結合医学(中医学と西洋医学両方を用いた治療法)による治療法が効果をもたらしていることを発表している。今回は中国で行われている中医学によるSARS対処法を紹介してみる。


  2. 温病学とは?

     日本人にとって中医学や日本の漢方医学はどうも慢性病に効果があるように思われがちだが、実はそうではない。現代のように医療が発展していない過去において、伝統医学は人々にとってはかけがいのない医療治療手段だったのだ。もちろん長い中国の歴史において、さまざまな時代に起こった疫病など伝染病の流行と深くかかわりがあることは言うまでもない。その結果、中医学における熱病伝染病学の基礎とも言える、温病学が誕生した。温病とは一般に突然発病し、容態変化の速度が速く、流行性をもち、伝染力が強い病気を指す中医学の名称だ。その意味では今回のSARSもこの仲間に入れることができる。
     この温病についての認識は古代中国では古くは漢の時代から記載があり、多くは気候の異常な温暖と関係があると考えられていた。その後、元の時代にさかのぼると従来の治療法と異なる新しい理論の治療指針が提案され、明の時代末期の医学者呉又可は自分の経験に基づき、中医学で本格的に伝染病を記述した書物《温疫論》は名高い。その後、清の時代にかけて温病学説は大きく発展した。江南地方近辺では清の時代、葉天士や呉[王唐]など数々の温病学の名医が登場する。当時、まだ抗生物質など新薬が無い時代に、歴代の名医たちは生薬の組み合わせで温病と呼ばれる流行性の強い病気に対応してきたのだ。


  3. 広東省での試み

     南方の広東省は温暖で、湿度が高いためにいわゆる温病が発生しやすい条件が整っている。そのため中医学系の大学では温病学を研究している研究機関も少なくない。一方で広東省では比較的早くから新型肺炎による死亡者が確認されており、また抗生物質の効果が思わしくないという現実から、中医学を利用したさまざまな試みが行われている。一時は市民の間に生薬「板蘭根」が効くという口コミの噂が流れて、広東省では板蘭根やその顆粒が薬局から消えてしまったり、価格が高騰した事態も起こった。また殺菌作用が強いとされる「白酢」も値段が高騰した。
     しかし板蘭根は非常に苦く、また熱を冷まして、解毒する作用が強い生薬であるため、長期服用には向かないだけでなく、個人の状態によっては胃腸を痛め、またアレルギー反応や造血系統の副作用の報告もある。もちろん発熱型の感冒やウイルス性肝炎などにはその効果はあるが、盲目的に生薬を服用することは避けなくてはならない。

     そこで2003年の2月初めに広州にある広州中医薬大学では抗生物質が効かない種類の「非典型肺炎」の患者に対して、全国でも著名なベテラン中医師劉仕昌教授や広州中医薬大学の温病学の専門家彭勝権教授、広州中医薬大学の第一付属病院温病学の専門家鐘嘉煕教授らが中心になって第一付属病院の10人の患者を回診を行い、その時の生薬の処方を公表している。鐘嘉煕教授の分析では患者の症状は温病の伏暑というジャンルに属し、最近の異常に暖かい気候に加えて、広東省など中国南部に多い高湿度の状態が状況をさらに悪化させているとしちえる。
     ちなみに上海でも3月の末に春としては50年来の暑さ28.9℃を記録、気候の温暖化が心配されている。伏暑とは明の時代の医学者王肯堂が《証治准縄》という書物で確立した名称で、夏場の暑さによって体に残った暑熱、もしくは暑湿の邪気(病気を引き起こす原因になるもの)が、秋や冬の気候の変化や体の抵抗力が弱まった時、突然発病する急性の熱病の一種である。

     広東省の中医学の専門家による判断により処方された方剤の主な生薬の成分は玄参、板蘭根、金銀花、錦茵陳、夏枯草、?苡仁、崗梅根、茯苓、菊花などで、早速煎じられ、広州中医薬大学第一付属医院ではこの処方を一般の市民にも煎じたものを1杯2元で配られたほか、市民が自分で煎じることが出来るように1袋5元で広く市民に販売され、当時多くの市民が列を作って購入した。

     予防として何よりも人ごみを避け、手洗いうがいの励行、部屋の空気の入れ替えを頻繁に行うことが大切だ。そのほか部屋の消毒として酢を使った熏蒸法や生薬「蒼朮」を部屋の中で燃焼させる方法も紹介している。約10平方メートルの面積で30gの蒼朮を燃やすと効果的であるとしているが、喘息患者がいる場合は行わないようにと注意している。


  4. 北京での試み

     北京では広東省ほどひどくはないものの、それでも死者を出している。4月6日の政府の公式発表では死者4人となっている。こちらでは北京中医薬大学東直門医院の姜良鈬教授と周平和教授が予防用の方剤を紹介している。こちらの専門家の意見では、今回のSARSに関しては40℃近い高熱から熱毒症状がひどく、また容易に湿邪を巻き込んでくるのが特徴としている。湿邪とは夏などジメジメした季節によく発生し、体を犯し、病気を発生させる原因になる。南方地方ではよく見かける邪気だ。北京でもSARSは温病に相当するとし、勢いの強い熱毒によって人体に欠かすことの出来ない水分などに相当する「陰液」が消耗するのを真っ先に防ぐことを怠ってはならない。そのためまず予防としては免疫力を高めることを怠ってはならない。また熱毒に対する解毒作用があり、体を取り巻く「湿」を取り除き、大切な水分である「陰液」を補い、正気を高める生薬が有効であるとしている。具体的な処方は1日分の分量として

    蒼朮12g、霍香12g、銀花20g、貫衆12g、
    黄耆15g、沙参15g、防風10g、白朮15g

    という処方を提示している。

     服用方法は、体力に自身のある人は1日おきに1日2回朝晩、これを3回続け、日ごろから風邪を引きやすい人、免疫力が弱いと思われる人は、毎日1日2回、これを連続して7日間服用するとよいとしている。子供や妊婦は個々の体質や年齢にあわせて量などを加減する必要がある。この処方の中で黄耆、白朮、防風等の生薬を含む顆粒、「玉屏風散」は薬局でも販売されている。

     また北京でも板蘭根の服用はあまり効果が期待できないとしている。またこちらでは空気消毒として鍼灸でつかう艾条(モグサ)を燃やしたり、檀香や蔵香などを熏香するのも予防効果があるとしている。


  5. まとめ

     いずれにしろ、中医学が一定の効果をもたらす可能性があることが確かだ。また今後中医学理論の弁証考察が深まるにつれて、さらに効果的に処方が生まれてくるはずだ。一方で上海でも市民の衛生知識は高まってはいるものの、まだまだ道路に痰を吐く人、道路に鼻をかむ人は少なくない。これら痰、鼻水などの分泌物が細菌やウイルスの伝播を助長するということは否定できない。手洗い、うがい、部屋の換気には気をつけたいところだ。

    筆者紹介:山之内 淳  日本でめぐりあった生薬のパワー、そして中医学の魅力に取り付かれ中国へ、もうかれこれ8年が過ぎようとしている。現在は上海の病院で中医学の臨床研究を 行っている。専門は中医内科。

    (山之内 淳)


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